初めてのそれは、突然に

朝起きていつものように食堂に入って挨拶したら、波琉さんが珍しく表情を曇らせた。
「美桜さん……なんだか顔が赤いけど大丈夫?」
「はい?」
そういえばなんだか身体がポカポカするかな、なんて思ってたら波琉さんが私のほうまで歩いてきて、そっと額に手を当てた。水仕事をしていたらしい波琉さんの手は冷たくて気持ちい……じゃなくて。
「……ちょっと熱っぽいね。そこに座って」
「へ?……あ、はい……」
手際よく戸棚から救急箱のようなものを出すと、私に体温計を渡す。素直に熱を測ると、体温計の数値は38度3分を表示していた。
「ここのところ美桜さんにとってはいろいろあったから、ちょっと疲れが出たのかもしれないね」
そう言って体温計を見た波琉さんは少しだけ顔を曇らせる。
「……っと、朝ごはん食べれそう?軽めにしておこうか?」
「あ、はい、大丈夫です」
そう返事したのでいつものご飯が出てくるものだと思っていたら、波琉さんは手際よく鮭入りのおかゆを作ってくれていた。多分朝ごはんの塩鮭を解してくれたんだろう。
「……すみません、なんか余計な手間かけちゃって」
「気にしないで。病気のときくらい甘えてね。学校にはちゃんと連絡しておくから」
そう言って食事の後片付けを始める。私は……せっかくのおかゆをなるべく残さないように……と思いながらも、やっぱりあまり食欲もなかったので、少しだけ残して部屋に戻った。

熱出すとか久しぶりだなぁ。保育所以来じゃないかな。そう思いながらため息をついてカレンダーを見る。そう言えばかーさんが死んでもう3ヶ月になるのか……早いな……。
「……美桜ちゃん?起きてる?」
ぼんやりと考え事をしていると、突然ノックの音とともに蒼汰さんが現れた。
「起きてますけど……どうかしました?」
「あー起きなくていいよ」
起き上がろうとした私を制して、蒼汰さんはベッドの縁に座ると、私の額に手を置いて、顔を顰める。
「熱出したって波琉さんに聞いたから、お見舞い」
「お見舞いって。一緒に住んでるのに」
くすくすと笑うと、蒼汰さんも釣られて微笑む。なんかいつもと雰囲気違うなあ。
「意外に元気そうで安心した。俺今日は学校とバイトだから一緒にいてあげられないけど……ちゃんと大人しく寝てなよ?」
「はぁい」
なんか彼女とかに言うようなセリフをさらりと言ってのけるあたり蒼汰さんだなぁ、なんて思いながら布団を被ると、蒼汰さんはいい子、と笑って部屋を出て行った。

なんかこんなふうにぼんやりするのも久しぶりだなぁ。波琉さんが言うとおり……かーさんが死んでからいろいろありすぎて、ちょっと疲れちゃったのかな……。
ちらり、とかーさんの遺影の置いてある棚を見る。写真のかーさんはいつもと同じ顔で微笑んでいた。
そうやってぼんやりしている間に、いつの間にか寝てしまっていたらしい。気がついたら窓の外の日差しが随分と明るく強くなっていた。時計を見ると午後1時になる頃。
喉が渇いたのもあって、食堂へ行こうとのっそりと起き上がる。
「……おお、美桜、起きたか」
食堂ではお爺さんと波琉さんが並んでお茶を飲んでいた。
お爺さんが私に気付くと、波琉さんも顔を上げて優しく笑いかけてくれる。
「なんか喉渇いちゃって……お水、もらいますね」
「どうぞ。美桜さん、食事は出来そう?」
「え?……あ」
波琉さんが私に聞くと同時に、私のお腹が小さな音を立てた。それを聞いた波琉さんはくすくすと笑って椅子から立ち上がる。
「……お、お恥ずかしい音を……」
「気にしないで。すぐに用意するから」
波琉さんと入れ替わりに席に着くと、お爺さんが体温計を持ってきてくれた。大人しく熱を測ると37度3分の表示。
「どうじゃ?熱はさがったかの?」
「はい、まだちょっとポカポカするけど」
苦笑して体温計をお爺さんに返す。表示を見て少しホッとした顔をしたお爺さんは、体温計を救急箱にしまった。

夕方になる頃には身体は随分と楽になっていた。もう大丈夫かな、と思って身体を起こすと、ドアをノックする音が聞こえた。
「はぁい」
返事をすると、波琉さんが顔を出す。めずらしいな、波琉さんが部屋に来るなんて。
「美桜さん、具合はどう?」
「あ、だいぶいいです」
そう言って私が笑うと、波琉さんはそっと私の額に手を当てて、体温を確認して微笑んだ。
「大丈夫そうだね。ご飯用意してあるから、好きな時に食べてね。食べられなかったら残しちゃって構わないから」
「ありがとうございます。なんか迷惑かけちゃって……ごめんなさい」
「気にしないで。でも、たいしたことなくてよかった」
波琉さんが軽く頭を撫でてくれる。蒼汰さんと違ってその手の動きはとても柔らかく優しい。お兄さんやお父さんってこんな感じなのかな、でも波琉さんに対してお父さんは失礼かな、なんて思ったらなんだか笑えてきた。
「元気そうだね。何考えてたの?」
「え?……あ、なんでもないです」
慌てて両手を振ってアピールすると、波琉さんはくすくすと笑う。
「……可愛いね、美桜さんは」
「へ……?」
波琉さんが真面目な顔をして私を見た。
「……波琉さん?」
ふわり、と波琉さんの手が私の頬に伸びた。え?と思ったときには頬に何か柔らかい感触。

「……じゃ、僕これから仕事だから」

私から離れて、そっと頭を撫でるとあのいつもの微笑みを見せて、部屋から出て行った。
私は、というと、さっきの波琉さんの突然の行動で既に思考能力がストップしていて、何も反応することが出来なかった。