天才は凡人とどこか違う

お爺さんのアパート……というか家というか……に引っ越してきて一週間ほどが経った。ようやく家の中にも慣れてきて、波琉さんと蒼汰さんとはある程度普通に会話が出来るようになった。
逆に、西畑さんは挨拶しても無視されるか睨まれるかのどっちかで、まともに会話したことは皆無だった。無愛想にも程があるというかここまでされると嫌われてるんじゃなかろうかという気持ちになる。

そんな中、食事が終わってふと壁を見ると、そこにはなんか不似合いな大きなホワイトボード。
「……蒼汰さん、聞きたいことあるんですけど……」
気になって、たまたま食堂にまだ残っていた蒼汰さんに聞いてみた。
「なに?あ、俺今日バイト休みだからデートならいつでも……」
「いやそうじゃなくて」
「……美桜ちゃん何気に交わすの上手くなったね」
「はは……」
そりゃ毎日そういう振りされればね……、なんて思いながら苦笑すると、蒼汰さんが私の頭を軽く撫でる。蒼汰さんは何かあると私の頭を撫でてくれるんだけど、別にそれは嫌ではない。むしろなんか気持ちよかったりする。なんでだろう?
「で、何だった?」
「これ、何ですか?」
食堂にかかっている大き目のホワイトボードを指差す。
「あーこれは予定表。帰りが遅いとか、泊まりで仕事があるとか、そういう場合に書いとくんだよ」
「へぇ……」
「例えば俺の場合だと今日は1日暇だから白紙ってことね」
わかりやすく説明してくれる蒼汰さん。名前をたどってみると、南野、東浦、西畑、北条、そしてその下に私の名前がある。
「この北条さんって人、どんな人なんですか?」
ホワイトボードの北条って名前を指差して聞いてみた。
「あー、ハヤテ君ね。ちょー天才」
「て、天才……?」
あっさりと言い放つ蒼汰さんに、少しだけ戸惑う。天才ってことはまたとっつきにくい人なんだろうか。
「うん、T大医学部だっけ?そこでなんかの研究してて、大学に泊り込みで研究したりしてるからなー。俺や波琉さんもたまにしか顔合わさないよ」
「そうなんだ……」
なんか研究者って言うと冷たそうなイメージを感じる。また西畑さんみたいな人なんだろうか。そう思ったのが顔に出たのか、蒼汰さんがまたよしよし、って頭を撫でてくれる。
「あ、凌駕みたいに性格悪くないからだいじょぶだいじょぶ。……そーいやこないだ顔見てそろそろ4日経つなー。今日あたり帰ってくんじゃない?」
コーヒーを飲みながらいつもの軽い口調で蒼汰さんが言う。
「挨拶、できますかね……?」
「出来るだろーけど……ハヤテ君人見知りだからなぁ」
「……はぁ……?」
何で人見知りな人がこんなところで共同生活してるんだろう、なんて思いながらホワイトボードを見ていると、玄関の開く音が聞こえた。
「お、誰か帰ってきた……おっかえりーハヤテ君」
蒼汰さんが食堂の入り口から首だけ出して玄関を確認して、なんか嬉しそうな声を出した。
「ちょーどいいや、ハヤテ君ちょっとこっち来てー」
「な……っ……なんですかっ?!」
蒼汰さんの楽しげな声と裏腹に、ものすごく怯えたような声が聞こえる。ひょっとして……ハヤテさんって人?
「はいはい、美桜ちゃんもこっちこっち。これがさっき言ってたハヤテくんね。で、ハヤテ君。こっちはこないだじっちゃんから説明あったっしょ?じっちゃんのお孫さんの美桜ちゃん、現役ピチピチ女子高生だよー」
ピチピチって……あたしゃ鮮魚かなんかですか……。そう思いながらとりあえず目の前の怯えた人に頭を下げる。その人は私と視線を合わせるのをやたら避けるかのように、眼鏡の向こうの目が泳いでいた。
伸び放題の髪は無造作に跳ねていて、どうやら身だしなみには無頓着らしい。いろんな意味で蒼汰さんとは真逆の人だな……。
「あの、初めまして、横山美桜です……」
「……っ!」
挨拶しただけなのにやたら驚かれた。なんなんだ一体。
「……ハヤテ君いい加減人見知りなおしたほうがいいよー?」
「な、な、治るものなら……とっくに……っ!」
人見知りっつーかこれ対人恐怖症並みなんじゃないか……?そう思いながらハヤテさん、って人の顔を見る。
「まあ美桜ちゃんとはこれからも長い付き合いになるんだしね?」
「……蒼汰君……」
ため息混じりに呟いて蒼汰さんを見るハヤテさんとやらの目は、私を見るそれよりは若干優しい。あ、なんかちょっとショック。
「……北条……駿(ほうじょう はやて)……です」
「はい、よくできました」
ポンポンとハヤテさんとやらの背中を叩いて、蒼汰さんがにっこりと笑った。
「んじゃ美桜ちゃん、駿くんこんな感じだから、ゆっくり慣れてあげてね」
「は……はぁ……」
改めて北条さん……駿さん……どう呼べばいいのやら……の顔を見ると、その人は真っ赤になって慌ててそっぽを向いた。
「あ、私……課題やんなきゃ……部屋戻りますね」
これ以上ここにいるとなんか駿さんが卒倒しそうだったので、理由をつけて食堂を出ようとすると、北条さんも引き続いて部屋を出ようとした。
「ぼ、僕も……資料を取りに来ただけなので……っ」
「え、駿くんすぐ帰っちゃうんだ。飯はー?」
「い、いりません!」
そう言って廊下を走っていったかと思うと、ドアの閉まる音が聞こえた。
「……あーあ」
「……えっと、いまのは……私のせい……なんでしょうか?」
「あー気にしない気にしない。駿くんいつもああだから。でも……まあ、最初から俺みたいには無理だろうから、挨拶からはじめてあげて」
『お友達からはじめましょう』的な言い回しをして蒼汰さんが苦笑する。私は頷くしかできなかった。うーん、やっぱり相談する人選を誤ったかな……。

蒼汰さんと別れて部屋を出ると、ちょうど北条さんが部屋から出たところだった。緊張しながらも軽く頭を下げて階段に足をかけると、突然呼び止められた。
「……あの!」
「は……はい?」
「あの……その……す、す、すみません!」
そう言ったかと思ったら北条さんは慌てた様子で……というかむしろ逃げるように廊下を走って玄関へと向かっていった。
「……どうすればいいんですかね、こー言う場合」
言葉もなくぼんやりと北条さんを見送ったあと、背後に気配を感じた蒼汰さんに話しかける。
「……まあ、駿くんにしたら上出来かなー?」
苦笑しながら駿さんの消えた玄関のほうをぼんやりと見て軽く頬を掻く。私はため息をついて階段を上がって自室へと戻った。

これでここに住む人全員と顔をあわせたことになるわけだけれども……先行きがいささか不安ではあった……やってけるのか私。というか北条さんはともかく西畑さんは性格悪すぎやしませんかね……ってこんなこと考えてる私も私か……。